第3章 入院生活(2)(入院2日目・手術当日)

第3章 入院生活

とうとう始まった、入院生活。
初日は、豪華な個室や夜ご飯に感激しつつ、手術当日のスケジュール確認などをおこないました。

一夜明け、いよいよ手術当日です。

起床後、朝一でシャワー

前日は、22時に就寝。
夜中の2時頃に一度目が覚めましたが、その後はまたぐっすり眠り、6時頃に起きました。
あまり眠れなかったということもなく、「よほど神経が図太いのだな」と、我ながら呆れます。

夫によると、猫は、普段私が寝ているほうのベッドで寝ていたとのこと。
私がいないことで、猫は密かに、ベッドの広さを堪能していたのではあるまいか。
食欲もまあまあということで、一安心です。

カーテンを開けがてら外を眺めると、そこには朝焼けに染まった畑が広がっていました。
良い天気です。

前日に飲んだ下剤が効いてきて、2回ほどお通じが来ました。

7:10
予約しておいた、シャワー室へ。
おそらく、しばらくはシャワーが浴びられないと思われるため、念入りに全身を清めました。
朝ご飯までに時間があったので、ラジオ体操をして時間つぶし。

8:00
朝食代わりに、「アルジネードウォーター」という、経口補水液?栄養液?的な、紙パックの飲料が2本出ました。
味は、スポーツドリンクのような、栄養ドリンクのような感じです。

9:20
朝の検温です。
昨日と同様、血圧と血中酸素濃度も測定。
また、洗濯機の空きがあったようなので、昨日着ていたパジャマを洗濯しに行きました。

その合間に、またお通じを含めて、何度かトイレへ往復。
(手術後も、ずっとベッドで横になっていると、歩くのが億劫になりそうだったので、尿意はなくとも、なるべく1~2時間に1回はトイレへ行くようにしていました)

この後は、バタバタするかもしれないと思い、夫へ電話をし、今後のスケジュールについて伝えておきました。

10:30
手術の3時間前。
これ以降は水分補給もNGとのことで、最後にペットボトルの水を飲んでおきました。

手持ち無沙汰になったので、ブックパスで「きのう何食べた?」を読んでいると、余計にお腹が空いてきました・・。
この作品では、ゲイカップルが、料理をとおしてお互いを尊重しあう姿や、周囲の目や親の偏見に葛藤するさまなどが描かれています。

「ゲイには、子どもに面倒を見てもらうなんて未来が無い」などのセリフには、これから子宮全摘をおこなう自分の姿を重ねたりもしました。

日常の、何と言うことのない食卓も、尊いものなんだな、と感じました。

予定が前倒しになったり、後ろ倒しになったり

当初聞いていた今後の予定としては、

  • 12:00 術着へ着替えて、点滴開始
  • 13:00 血栓予防のための、弾性ストッキングをはいておく。点滴に抗生剤を追加
  • 13:25 歩いて手術室へ
  • 13:30 手術開始

だったのですが、どうやら手術の準備が早まったとかで、ナースコールでその旨のアナウンスがありました。

11:20
ナースコールで準備を始めるようにアナウンスがあり、まずはトイレを済ませます。
そして、用意されてあった術着へ着替えました。

術儀は、健康診断の時に着用するような、「丈が短い浴衣」のようなイメージです。
中に身に着けるのは、ショーツのみ。
ちょうど洗濯機の乾燥ができあがりそうだったので、術着の状態で、慌てて取りに行きました(本当は、もっと時間に余裕があると思っていたのですが・・)。

11:50
手術前の点滴を入れる前に、血栓予防のための弾性ストッキングをはいておくように、指示がありました。
ふくらはぎを覆う長さで、つま先に穴が開いている、こんな感じの白い着圧ストッキングです。

どなたかのブログで、「足が王子のようになる」という記述がありましたが、まさに見た目が王子のようになります(笑)

当初は「点滴を入れたあとにストッキングをはく」予定だったのですが、かなりの着圧なので、点滴をする前の両手が十分に使える状態でないと、はくのが難しいように思います。

左腕に点滴が入り、手術前の最終チェックが済むと、再び手持ち無沙汰になりました。

「手術の準備が早まった」とは言え、なぜか13:00の抗生剤と、13:30の手術開始予定は変わらず。
術着だけでは少々肌寒かったため、初めてはおりものを(少しだけですが)使いました。

また、手術にかかる時間について質問してみると、「もちろん手術の状況にはよるだろうが、大体3時間くらい」とのこと。
これは麻酔の準備や、麻酔から覚める時間も含めての時間、だそうです。
手術を受ける側としては、あっという間に感じられるとは思いますが、待っている夫の身からすると、長く長く感じられることでしょう。

12:45
今度は、「緊急のオペが入ったため、抗生剤の点滴や、手術開始の時間が延びるかも」というアナウンスがありました。
何やら、飛行機の離陸待ちのような気分です。
が、病院という場所の性質上、予定どおりに行かないことは織り込み済みです。
その患者さんやご家族の方に思いをはせ、緊急のオペの成功を、ただただ祈りました。

そして、看護師さんがやって来て、点滴のスピードをかなりゆっくりにして行かれました。
落ち着かないまま、歯みがきを済ませます(手術室に行く前に、歯みがきをしておくよう言われていました)。

13:00
「抗生剤の点滴は、手術30分前におこなう」と聞いていたため、「今の時間で抗生剤の点滴がまだということは、きっと手術が始まるのもまだなんだろうな」と思い、ひたすら待ちます。

13:40
ようやく、ナースコールでアナウンスが。
てっきり「これから点滴に抗生剤を入れますね」というアナウンスかと思いきや、

看護師さん
看護師さん

急なんですけど、これから手術になります。
トイレを済ませてセーフティーボックスの鍵を持ったら、ナースステーションの前まで来て下さい。

とのアナウンス!
えー!!

当初は、「手術室へ向かう直前にも、夫へ電話で話ができる」という話だったのですが、その余裕もなく、慌てて点滴をガラガラと引きずりながら、トイレへ向かいました。

夫へは、かろうじて「トイレを済ませるよう言われました」「行ってきます」というLINEのメッセージを残したのみ。
スマホと眼鏡をセーフティーボックスへしまってから、急ぎナースステーションへ向かいました。

手術室へ

13:45
ナースステーションの前で、改めて氏名・手術内容について確認し、セーフティーボックスの鍵を預けました。

看護師さんに付いて頂き、点滴を引きずりながら、歩いて手術室へ向かいます。
途中、看護師さんがIDをかざさないと入れないエリアを通り抜けました。
否が応でも緊張が高まります。
眼鏡をしていない、視界がぼんやりとした状態なのが、かえって良かったかもしれません。

手術室に到着すると、手術担当の看護師さんへバトンタッチ。
麻酔科の先生や、主治医が待ち構えていました。

手術室へ入る前に、もう一度氏名・生年月日や血液型などを確認。
頭には、シャワーキャップのようなものをかぶって、髪をしまいました。
それを済ませると、いよいよ手術台へと上がります。
手術台は、思ったよりも細長いです(整体の時のベッドくらい?)
手術室自体は、ひんやりとした空間です。

手術室内は、朗らかであるところの麻酔科の先生の趣味なのか?終始何やら、軽い感じの音楽が流れていました。
麻酔科の先生は、終始こちらの緊張を和らげようと、軽口も含めて声をかけ続けて下さいました。

世間話をしている間にも、体に次々といろいろなものが取り付けられていきます。

  • 右腕に、血圧測定器のバンド(一定時間ごとに空気が送られて、自動的に血圧が測定される)
  • 左腕に、点滴と、血中酸素濃度を測るためのクリップ
  • 口に、酸素吸入のためのマスク
  • 胸に、心電図の電極がいくつか
  • 両足に、血栓症防止のためのポンプ

口元には、もともとしていた不織布のマスクのうえに、さらに酸素吸入のためのマスクが重ねて取り付けられました。
少々、息苦しく感じます。

この時点で、当初は病室で入れておくはずだった抗生剤が、点滴に入れられました。
すると、どうやらその抗生剤が合わなかったのか?、鎖骨から胸にかけて、一面に赤い斑点が出始めたとのことで、看護師さんや先生方が、慌ただしくどこかへ連絡を取っています。

とは言え、私は直接その斑点を目にしたわけではなく、そのやりとりに不安を覚えつつも、手術台の上で待つことしかできませんでした。

その後、別の抗生剤へ変えたことで、ようやく赤い斑点が薄くなってきたということで、次はいよいよ硬膜外麻酔です(このあたりの順番は、記憶があいまいです)。

細長い手術台の上で、何とか横向きになって、背中を丸くします。
あらかじめ背中に麻酔の注射を打ったうえで、そこへ麻酔を通すためのカテーテルを通します。
注射もカテーテルも、あまり痛みは感じませんでした。
何かひんやりとしたものが入ってるな、くらいの感覚です。

そこまで終わったたところで、もう一度仰向けになり、手足が手術台に拘束されます。
どなたかのブログで、「イエス・キリストの十字架のようだ」という記述がありましたが、まさにそのような感じで、両腕は真横にまっすぐの状態で、固定されます。
両足も、フットポンプごと固定されました。

麻酔科の先生からは、何回か「どう?眠くなってきた?ぼんやりしてきた?」と聞かれましたが、まだ意識ははっきりとしています。

私

あ、あのう、慌ただしくて、夫にちゃんと『これから手術だよ』って連絡ができてないんです・・


とは言い出せず、悶々としました。

その後、もろもろの準備が整ったようで、麻酔科の先生から

麻酔科の先生
麻酔科の先生

それじゃあ、大きく深呼吸して下さい。これから眠くなるからねー

と声をかけられ、

私

それでは、みなさまよろしくお願いします!

とマスク越しに声を張り上げたところで、記憶が途切れました。

病室へ帰還

次に記憶が戻ったのは、病室でした。
残念ながら、 麻酔科の先生が言っていた「麻酔から目が覚めていく時に、肩をたたきながら『○○さーん』って声をかける」というくだりは、まったく記憶にありませんでした。

酸素吸入と、血圧計測のポンプが動く音がする中、「せーの!」と何人かの声がかかって、体がストレッチャーから自分の病室のベッドへ移されるところで、目が覚めました。

病室の時計に目をやると、15:30。
「3時間くらいかかるかも」と言われてはいましたが、手術室へ向かったのが13:40過ぎだったので、思ったよりも早く終わったようです。

あとから聞いた話では、ちょうどこの頃に先生から夫へ、無事手術が終わった旨の連絡があったそうです。
夫から双方の両親へ連絡してもらい、どちらもホッとしていたと聞きました。

その頃の私は、

  • 喉がかなり、いがらっぽいな(手術中は、酸素吸入のために、気管挿管されていたため)
  • あ、セーフティーボックスに鍵がかかったままだ・・。
    鍵をナースステーションに取りに行かないと、中に入っているスマホが取り出せない・・。
    でも取り出せたとしても、今の状態じゃあ、スマホも操作できないから、夫に連絡ができない・・。

と、ぼんやりとした頭で考えていました。

体には、足元のポンプ(血栓症防止のため)と、左手指先の、血中酸素濃度を測るためのクリップ以外のものは、すべて取り付けられている状態でした。

  • 右腕に、血圧測定器のバンド(一定時間ごとに空気が送られて、自動的に血圧が測定される)
  • 左腕に、点滴
  • 口に、不織布のマスクのうえに、さらに酸素吸入のためのマスク
  • 胸に、心電図の電極がいくつか

さらに、上記に加えて、

  • 背中に、硬膜外麻酔のカテーテル
  • 感覚はありませんが、手術中に尿の管も取り付けられていたようです

まだ麻酔が効いているのか、傷口の痛みはありませんでしたが、もちろん自分で起き上がることはできません。
自分でベッドをリクライニングして良いのかも分からなかったですし、そもそもリモコンに手が届くかどうか。
この時に、寝返りが打てたかどうかも、記憶があいまいです。

口元には、新しく用意してもらった不織布のマスクの上に、酸素吸入のためのマスクが取り付けられており、かなりの息苦しさを感じました。

また、喉のいがらっぽさがかなり苦痛ではありましたが、つばを飲み込んだり、長ーく息をしたりでごまかすしかありません。

長い長い夜

今のところ痛みが無いのは不幸中の幸いではありましたが、喉のいがらっぽさが続くのは、かなり不快でした。

「手術後3時間経ったら、水を飲んでも良い」と言われていましたが、看護師さんが様子を見に来て下さった時に、ペットボトルの水を飲めたんだったかな?どうだったかな?
あまり記憶にありません。

また、「身動きは取れないけれど、何とか無事だよ」という旨を夫へ連絡しようにも、スマホを手に取ることすらできません。
仕方がないので念を送ってはみましたが、長らく連絡が取れなかったことで、夫はかなり心配していたようでした。
(次の日の昼に、尿の管が外されてようやくセーフティーボックスの鍵を受け取れ、ようやく連絡ができました)

その後も、うつらうつらしつつ、喉がいがらっぽいため、つばを飲み込んだり、長ーく息をしたりで過ごしました。
熱っぽくもあり、お腹も少々張っています。

長い長い夜の始まりでした。


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