これまでの生理痛の遍歴について記します。
少々長くなりますが、お付き合い下さい。
初潮~中学生
初潮は小学校高学年の時。
最初は周期が乱れることもありました(半年生理が来ないこともあった)が、その後は至って正常な周期になりました。
この頃は、バファリンなどの鎮痛剤のお世話になることは、まだあまり無かったように思います。
高校生
この頃から、徐々に毎月の痛みと経血量が増してきて、学校を休むこともありました。
生理2~3日目の酷い時には、痛みが波のように周期的にやって来ます。
例えるならば、キリキリとお腹全体がねじり切られるような、お腹の中をグリグリとかき回されたうえに雑巾のように絞られるような痛みです。
また、痛みだけならば、まだバファリンで何とか抑えられますが、時には吐き気を伴うこともありました。
ある日などは、授業中に脂汗をかきながら痛みと吐き気に何とか耐えていたものの、もはや限界となり保健室へ。
しかし間に合わず、保健室前の廊下で、盛大に嘔吐したこともありました・・
大学生
合格発表の時も、生理痛。
現地まで見に行ったのですが、その後ちゃんと家まで帰れるのかが気がかりで、あまり良い記憶が残っていません。
また、よりによって約一か月後の入学式の時にも、重い生理痛がやって来ました(変なところで生理周期が正常過ぎるのが、嫌になります・・)。
入学式の最中、会場に人が座りきれず立ち見の状態な上に、その日は飲み物を持ち合わせていませんでした。
そのため、水なしでバファリンを何とか飲み込んで、立ったまま必死に痛みに耐えるはめに・・。
その後も、痛みの記憶は様々に。
サークル仲間宅でみんなが楽しく集まっている時に、波のようなキリキリ痛みがやって来ました。
トイレを借りましたが、痛みは増すばかりだったので、途中で帰宅することに(注:自宅までは2時間かかる場所です)。
途中で何度もその場に座り込みながら、痛みの波の合間を見計らって、何とか帰宅しました。
また、デートで待ち合わせの駅に着いたかと思ったら、重い生理痛でトイレから動けなくなったことも。
あまりの痛みと吐き気に、トイレの便座に座っていることもできなくなりました。
床に座り込んで壁に寄りかかりながら、そのまま1時間ほどうんうんうなっていました。
当然、デートはどこへも行けないまま、その場で解散・・。
社会人~結婚後
社会人になってからも、相変わらず痛みも経血量も増し続けました。
また、経血にレバー状の塊を伴うようにもなりました。
旅行や大事なイベントに重なりそうな時は、本当に憂鬱でした。
旅行で生理2~3日目が当たりそうな時は、ナプキンは1パック分すべて必須。
実家へ帰省する際は、大量の使用後ナプキンをその場で捨てていくわけにも行かないので、ビニール袋へ入れてため込んで、自宅へ持ち帰ってからまとめて捨てていました。
夜寝る時の漏れも気になったため、ビニール袋をお尻とパジャマの間に仕込んで寝ていました。
見た目は非常によろしくありませんが、背に腹は代えられません。
寝返りを打つたびにガサガサと音がして夫には申し訳なかったですし、夏は肌に張り付いて不快極まりなかったですが、安心感はありました。
また、慣れない異国のスーパーで、嘔吐と腹痛と下痢のコラボが来た時は、本当にしんどかったです。
海外のトイレは、防犯上の観点でトイレの下部が外から丸見えの構造になっているため、床に座り込むわけにも行かず・・。
胃腸が空っぽになるまで、脂汗をかきながらひたすら耐えました。
余談ですが、アメリカの鎮痛剤は実に素早く効いた記憶があります。
日本の薬だと、どんなに早くても痛みが和らぐまでに最低30分はかかりますが、アメリカで飲んだ薬は、ものの10分ほどで効いたほどです。
この時点でもまだ、「自分は大したことはないだろう」と思おうとしていました。
生理周期は一定しているため、生理不順ではありませんでした。
また、生理期間以外での不正出血もまったくありません。
また、他の方の体験談で、よく「ベッドの上が一面流血」「救急車で運ばれる」などの話を聞いたことがありましたが、「そこまでではないかな?」と思っていました。
また、友人と生理について話す機会もないため、自分が果たして正常なのか?そうでないのか?の判断が付きませんでした。
あまりあけっぴろげにする話題でもないので、他の人はどうなのかが分からない、という方は多いのではないでしょうか。
私の場合は、上記のような、嘔吐するほどの酷い生理痛は年に1~2度くらいでした。
また、「生理2~3日目をバファリンで乗り越えさえすれば、あとは何とかなる!」との一心から、何とか耐えることができていました。
しかし今となっては、明らかに日常生活に支障をきたすほどの生理痛であったように思います。
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